長野県千曲市の戸倉上山田温泉にある創業62年の旅館が2024年にリニューアルをします。工事をプロデュースするのは、約100年の歴史を持つ株式会社鳶髙橋です。東京に拠点を置く鳶髙橋に旅館工事を頼む理由を「ゲストハウス旅館相生」オーナーの林欣克さんは「歴史を重んじる姿勢と、責任を果たしながら自由を楽しむ人柄に惚れました」と振り返ります。

意気投合した2人が上山田温泉街に生みだす拠点は、一体どのような場所になっていくのでしょうか。今回は林さんに旅館の成り立ちや展望をインタビューしました。

さまざまな顔を持つ人柄と、堅実さに惚れた

髙橋さんと初めてお会いした場所は、「おせっかいハウス 昭和の寅や」(以下:寅や)さんです。鳶髙橋さんが寅やさんの外装工事を担当していて、素敵な仕上がりだなと思ったのを記憶しています。その後、髙橋さんがブランディングを担当されている「和かふぇよろづや」さんで再会をはたしました。髙橋さんはいつもフランクで、話しやすい雰囲気が印象的でした。丁度「ゲストハウス旅館相生」のリニューアル工事を検討していた頃だったので、鳶髙橋さんのWebサイトをみていたところ、歴史を重んじていて信頼できる実績があるという印象を持ちました。潜在的に、頼むなら髙橋さんだなと思っていたのですが、Webサイトをみてさらに背中を押されました。

髙橋さんと、職人さんのやりとりも記憶に残っています。職人さんは寡黙な方が多い印象で、多くを語らなくても意思疎通ができているのに驚きました。髙橋さんのお父さんにあたる、2代目親方と職人さんが一緒に仕事をしていたことから生まれる絆なのだと後から知り、更に素敵な会社だなと思いました。

その後、共通の知り合いを通じて東京で髙橋さんと3人で食事をしました。音楽という共通の趣味があるのと、社会的、経済的に責任を果たしつつも自由を重んじている人柄にも魅力を感じました。基盤があって人生を楽しんでいるという安心感に、長期的にお付き合いさせていただけると嬉しいなと思っています。

「旅館相生」の成り立ち

「ゲストハウス旅館相生(当時:旅館相生)」は長野県上田市で料理屋を営んでいた私のおばさんが昭和36年に開業しました。
私は学生時代東京の大学に通い、後々旅館の跡継ぎをしようと考えていました。しかし、私が長野に戻ってきたタイミングは平成3年のバブル崩壊の時期でした。旅館を受け継ぐタイミングは今ではないと判断し、三味線の稽古場として場所を貸すなど限定的に利用をしていました。

人生観が変わった40代

私は「旅館相生」をいつの日か再開しようと調理師資格を取得したり、旅して宿泊施設を研究したり、働きながら勉強をしていました。そんなある日、40歳になってしばらくしたタイミングで心臓に違和感をもちました。病院に行ったところ、心筋梗塞になっており「もう少し放置をしていたら死んでいた」といわれました。カテーテルで治療をおこない生還したものの、心臓の機能が低下し、いつ死んでもおかしくない状況にありました。

私は今まで何回も海外旅行に行っているのですが、旅行回数が増えたのはこの頃からです。いつ心臓が悪くなるかわからないと考えると、人がみたことのないものをみたい、体験したいという思いが沸いてきていました。

「自分ごと」がもたらした働く意義

当時働いていた市役所の観光課での仕事ぶりに「なんでそんなに働くの」と周りから驚かれていました。のちのち戸倉上山田温泉で旅館を経営するのだから、町がにぎわっていてほしいと誘客に力をいれていたのです。戸倉上山田温泉が盛り上がるなら今までになかったことも率先してやり切ろうというモチベーションがありました。

市役所の仕事で印象深いことといえば、5年間の広報業務です。広報誌を書いていたときは、いやになるほど記事を書いたり、写真撮影をしていました。取材するなかで、子どもたちが町長になったら何をするのかという作文に感銘を受けました。「空から見よう私たちの町」と題し、実際に作者である子どもをヘリコプターに乗せて自分が住んでいる町の様子をみせてあげました。その様子を紹介した広報誌が奨励賞をとり、とても嬉しかったです。町に住む子どもたちが輝いている瞬間は今でも自分の原動力のひとつです。

ゲストハウスとしての活用

「旅館相生」は昭和36年に創業し、私が引き継ぐことで親子3代で経営することになります。当時の旅人を癒やした、昭和ならではの安心感を生かしながらほっとできる空間を提供したいと考えています。戸倉上山田温泉は旅館が多く、高価格帯の宿も多いので、できれば低価格のゲストハウスをつくって気軽に長期滞在できる場所をつくりたいと考えています。横には「喫茶あもん」という喫茶店を併設しています。既にあもんには地元の方が足を運んでくれています。

部屋はクロスを貼り替えたり、塗装したりとなるべく現状の魅力を生かしながら工事をしてもらう予定です。1部屋はラウンジにして、将来ジャマイカに住んでレゲエを聞く私の夢を表現するような空間をつくりたいです。ちょうど目の前に観光局があるので、観光局からラウンジをみた人が2度みするような外観にしたいと思っているんです。

髙橋さんは、私の思い描く抽象的なイメージをすぐに理解してくれました。昭和感なら今の空間を生かして、圧迫感の出る部分を変更するなど魅力を最大限に生かそうと提案くださいました。これから工事が本格的に始まるのが楽しみです。「楽しいのが1番。仕事が趣味。」髙橋さんと私の共通点である価値観が新しい空間を生み出してくれると思っています。

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