「未来をつくる実験区」をコンセプトに掲げる未来創造拠点「100BANCH」は、次なる100年を創り出すべく、若者たちの挑戦を応援しています。彼らが未来に向けた実験をおこない、その成果を発信する場として年に一度開催されるのが「ナナナナ祭」です。このお祭りは、短期集中で目標達成を目指す「文化祭」であり、アクセラレーションプログラムの「DEMO DAY(成果発表会)」でもあります。来場者が五感で楽しめる仕掛けが満載で、メンバーの情熱が凝縮されたイベントです。

鳶髙橋はご縁をいただき「ナナナナ祭2025」のシンボルとなる櫓制作に携わらせていただきました。100BANCHの櫓企画でアメミヤユウさんが構想した空間コンセプト「Pluralistic Future Stage(多元的な未来が共存する舞台)」という壮大なビジョンに、鳶髙橋の技術と「東京文創」の精神を持って命を吹き込みました。今回は「100BANCH」の成果発表のようすとともに、櫓制作を振り返ります。

「数多の未来」と伝統技術の融合

100BANCH屋内階段の「わたしにとっての100BANCH」

2017年、パナソニックホールディングス株式会社創業100周年を機に「未来をつくる実験区」として誕生した「100BANCH」。常識にとらわれない若者の挑戦を応援し、次の100年を創り出すこの場所は、まさに多様な情熱が交差する空間です。

今回「ナナナナ祭2025」の櫓企画制作プロデュースを手がけられたのは、体験作家/Ozone合同会社の代表であるアメミヤユウさんです。仮想の世界を小説で描き、体験で顕(あらわ)すという前例のない体験価値を提供するクリエイターであるアメミヤさんからご縁をいただき、櫓制作のお手伝いを担わせていただきました。ナナナナ祭でひときわ目をひく、櫓を生かしたアート空間のコンセプトは「Pluralistic Future Stage」。これは「数多(あまた)の未来観が共存、共鳴、共振する実験区」という、非常に示唆に富んだコンセプトです。櫓に掲示されていた説明文には、こうありました「100(数多)の未来観が共存、共鳴、共振する未来の実験区100BANCH。異なりつつも、重なっていく、100BANCHの未来観をPlurality(多元性)とEntanglement(量子もつれ)というテーマで表しました。シンメトリーな2つの櫓はみえない糸で結ばれ異なりつつも、重なり合います」この深遠な思想を表現する機会をいただけたことは私たちにとって大きな喜びです。伝統的なコミュニケーションツールである櫓が、未来へのメッセージを込めた「場」をつくるという、櫓本来の役割を生かして新たな解釈と可能性を与えるきっかけになる装置として形になるわけです。

熱狂とともに組み上げた、未来への足場

建設される櫓は渋谷の街並みにも自然と馴染んでいる

櫓に込められた「Pluralistic Future Stage」という壮大なコンセプトは、私たち鳶髙橋が日頃から実践している「東京文創」の精神と重なる点があります。2027年に創業100年を迎える鳶髙橋のブランドコンセプトである「東京文創」は、江戸・東京のまちを考え、守り、つくってきた鳶のバックグラウンドから、遊び心を忘れずに持続可能な未来を目指してまちづくりに向き合い、そのために必要な一人ひとりが「熱狂」し「夢中」になれるスタイル、在り方を指します。多様な未来が共存し、調和していくという100BANCHの思想、そして櫓に込められたコンセプトはまさに我々が普段の活動で実現している空間と重なる点があると感じました。

櫓が本来持つ「場を創造する」役割を現代に問い直し、無限の可能性を引き出すプロセスに突き動かされるように、一本一本の素材に魂を込めて組み上げていきました。この櫓が、情熱が交差する未来の兆しとして機能し「ナナナナ祭2025」で音楽表現やパフォーマンスがおこなわれる中心地として機能します。

「ナナナナ祭」に現れる未来の兆し:セッションからみえた創造性

「ナナナナ祭2025」にはプロジェクト展示や音楽パフォーマンスのほかに、未来のテーマが議論されるセッションが開催されました。当日おこなわれた4つのセッションは、私たちが「東京文創」を通じて実現したい未来の姿に示唆を与えてくれました。

[まち×創造]余白から始まる風景|まちにひらかれた未定義の場所たち

この講演では、都市の公園や広場、空き地といった「未定義な場所(余白)」が持つ創造性に焦点が当てられました。活用されてこなかった空間が、偶然や実験、交流が生まれる「都市の遊び場」となり、創造性を引き出す力があるという提唱が印象的でした。

雑誌・オンラインメディア『WIRED』の日本版編集長、松島倫明氏は、持続可能を超え、常に価値を「生成・再生」する「リジェネラティブ(Regenerative)」概念を提唱。経済性だけでなく多様な資本を考慮し、社会によい循環を生む「リジェネラティブ・カンパニー(The Regenerative Company)」としての取り組みを説きました。

建築家、ALTEMY株式会社代表の津川恵理氏は、個人の感性を刺激する空間や、人々の自発的利用を促す公共空間(例:神戸三宮の広場、渋谷公園通り計画)の設計事例を提示し、「余白」に遊びと解釈の余地を与えることで利用者が使い方を自ら生み出していくなど、多様な行動を生む可能性を実証しました。

東京大学都市工学科講師、吉江俊氏は、直接的な利益追求ではなく、余白への投資が人々の滞在やエリア価値向上につながり、地域全体を豊かにする「迂回する経済」を提示し、余白を「メタコンテンツ」として都市開発の中心に据えるべきだと主張。ワシントン州シアトルの市民参加型ファンドなど、余白活用の具体的な仕組みや、グラングリーン大阪、GREEN SPRINGS、など低容積の開発がエリアイメージを刷新し、長期的な利益を生み出す例を共有してくれました。

質疑応答では、都市を考える場の不足、多数の関係者による合意形成の難しさ、都市のルールと人々の行動変容のギャップ、成功した公共空間が人の集まりすぎによる苦情によって閉鎖される可能性を持つという課題が議論され、都市の未来における「余白」の創造と活用にむけた重要な観点が議論されました。

[科学×創造]科学と陰謀論は、となりあわせ

「科学とは何なのか?」をテーマに、科学と社会の接点について多角的に議論されました。

サイエンスコミュニケーター宮田龍氏がモデレーターを務め、Academimic合同会社代表/プランナー浅井順也氏が研究とクリエイティブを融合させる自身の取り組みを紹介。A cultured energy drinkリーダー/細胞研究・食品開発担当の田所直樹氏は、培養肉開発の経験から、科学技術が社会実装される過程で生じる陰謀論や社会的反発(例:培養肉や昆虫食への誤解と炎上)の実態を語りました。研究者の前山和喜氏は、科学が常に絶対的ではなく市民の関与が重要になった歴史的変遷、そしてAI時代における知識流通の変化を解説しました。

講演では、科学の定義(仮説検証と再現性)と、陰謀論や疑似科学(議論拒否、客観性欠如)との違いが明確にされました。メディアによる情報の増幅や、社会に根付く不信感が科学的知見の伝達をいかに困難にするかが指摘され、成功した技術でさえ誤解によって広まらない課題が浮き彫りになりました。

科学と創造性の融合において、クリエイターは社会への影響を認識し、その表現が人々に与える「正しさ」や「怖がる」ことの意味について責任を持つべきだという提言には深く共感しました。知識の流通構造の変化や、科学を推進・享受する双方に学ぶ姿勢が必要というのは情報社会だからこそ重要性が高まる観点でした。

[AI×創造]AIネイティブが語る、これからの表現

第三章「AI×創造」では「AIネイティブが語る、これからの表現」をテーマに議論されました。ナビゲーターの株式会社HEART CATCH代表/プロデューサー西村真里子氏と5名の登壇者がそれぞれのAI活用法と哲学を共有しました。彼らはAIを「アシスタント」「効率化の道具」「関数」「対話相手」などとして、多岐に活用し創造活動の効率化や能力拡張に不可欠と語りました。

登壇者の多くは、最終的な創造性やオリジナリティ、作品の「動機」や「情熱」は人間特有のものであり、AIに代替されない領域であると強調しました。また、AIの浸透により、人間はむしろ自身の身体性や物質との関わり、そして「なぜそれをするのか」という根源的な問いに向き合う重要性が増しているという意見も出ました。

質疑応答では、「AIを道具として使いこなしているのか、あるいはAIに使われているのか」という問いに対し、その線引きは個人が自身の「感触」や「満足度」で判断するしかないという見解が示されました。AIが作業を自動化し続ける未来において、人間は自身が何に感動し、情熱を持つのかという「コア」を持ち続けることが、これからの人間の価値となるという点で意見が一致しました。

建築とAIの関係についても、単に効率を追求するだけではなく、人々の心に響く「表現」やよりウェルビーイングでいられる「状態」をつくるパートナーとしての活用が必要不可欠だと思っています。「ツールとしてのAI」だけでなく、伴走者としてAIを捉え始めていることが、これからの表現に希望と可能性をもたらしているといえます。

[偏愛×創造]わたしだけの熱狂が社会を揺らす

第4章では、「偏愛」(深く偏った愛)思想が語られました。海をはじめとした水域の自然環境を、水槽などを用いて陸地に再現する環境移送ベンチャー、株式会社イノカ代表高倉葉太氏と株式会社ロジリシティ代表の野々村哲弥氏(「どこでもバンジーVR」開発)が、自身の「偏愛」を起点としたプロジェクトを紹介しました。

高倉氏はサンゴ愛から環境ベンチャーを立ち上げ、教育から企業研究、グローバル展開へ。野々村氏はバンジージャンプへの熱狂をVRで再現し、国際的な評価を得ました。両氏は「好き」を貫く覚悟と、他者の「好き」を尊重する姿勢が社会を動かす原動力となると強調、質疑応答や参加者とのグループ討議では、個人の「偏愛」が周囲を巻き込み、社会を変える可能性が語られました。

「ナナナナ祭2025」の締めくくりとなるこのセッションは、「偏愛」つまり誰にも理解されなくても自分だけの「熱狂」を貫くことが、いかに社会を動かす力になるかを問いかけました。登壇者たちは、自身のニッチな興味やこだわりが創造につながり、やがて社会的なインパクトへ発展する実例を、それぞれの「衝動」や「価値観」を原動力に語りました。この「熱中」や「夢中」がやがて人や社会を巻き込むようすは、私たち鳶髙橋が信じる未来の姿です。伝統的な技術や文化が、新しいテクノロジーや、ときには一見「偏愛」にみえるような斬新な価値観と自然に融合し、進化していく世界が生まれる大事な要素です。

鳶髙橋が考える100年後の「あたりまえ」

櫓のコンセプトに共感を覚えながら竹を組み立てる鳶髙橋、代表髙橋

私たち鳶髙橋にとっての100年後の「あたりまえ」とは、まさに「情熱」が渦巻く世界です。伝統的な技術や文化が、新しいテクノロジーや価値観と自然に融合し、進化していくこと。自分たちのまち、文化を誇りに思っている、人が傷つかない世界です。

講演にて「100BANCHがどんな場所であってほしいか」が議論されていた際、参加者からは「皆さんが自由に好きなことをやっている場所であり続けてほしい」「変化が激しい社会のなかで、常に新しい風を吹かせ続けてほしい」といった意見が出ていました。また運営側からは、「秘伝のソース」のように多様な人々の力が混ざり合い、それが100年後にも継承されていくことへの期待が語られていました。改めて素敵な空間、ムーブメントが東京から起こっているのだなと若い息吹を感じとりました。

建築業といえば地図に残る仕事といわれますが、それに加えて人々の心に残る体験や情景を創出する「東京文創」の精神で、単なる「箱」ではなく、物語が宿り、地域とともに呼吸する「生きた空間」を残していきたいと考えています。

今回100BANCHの櫓制作、講演内容から、大きな学びをいただきました。これからも、伝統と革新をつなぎ、「東京文創」を通じて、未来の「あたりまえ」を創造し続けます。

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