江戸から続く「鳶とまちの関係性」を理解するために、江戸町火消に関わる人物に焦点を当てていきます。第一弾は鳶と祭りの関係を紹介します。

町火消を組織する「いろは四十八組」の「く組」に属する株式会社鳶髙橋と深い関係がある、江戸町火消元鳶頭、渡辺肇さんのお話しを紹介します。

2015年8月号Vol.26『帝国データバンク資料館 Muse 温故知人』より

鳶が担う祭りのお仕事

渡辺さんは昭和6年、四谷区三光町(現:新宿区新宿5丁目付近)で鳶の家系に生まれました。鳶は所属する町名で呼び合う習わしがあり、渡辺さんは花園町(新宿三丁目)と名乗っています。

太平洋戦争を経験した渡辺さんは戦後、焼け跡が残るまちで建築業を営む父親の手伝いをおこなったことをきっかけに鳶の世界に入りました。

鳶は建築、消防(火消し)以外にも祭礼の采配があります。祭りでは神輿(みこし)を組み、神輿の休憩所や御神酒所を各町に設置します。夏には盆踊りの櫓(やぐら)を組み立て、お正月には門松やしめ縄飾りの制作販売をおこないます。

祭りを継承するためにできること

祭りを盛り上げる神輿は一部区域をのぞいて大通りでの実施はほとんどされていません。昭和34年頃、安保闘争がデモを規制した影響により、祭りもデモとして認識されてしまい、現在でも規制が続いているのです。交通整備がいきわたると同時に、路地ではなく大通りで神輿を担ぎ、見劣りしないようにとどこの町もこぞって大きな神輿をつくっていた時代もありましたが、多くの地域では現在でも裏路地など限られた場所で神輿が担がれています。

人口減少も重なり、祭り自体の規模が年々縮小されている傾向にありますが、渡辺さんは現在も鳶ならではの技術を継承しています。火消しに欠かせない纏は纏名鑑として記録に残すなど、技術と記録を残して次の世代に文化を引き継いでいるのです。

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