花園神社がある土地はかつてたくさんの花が咲き乱れていたといいます。時を経て花は光となり、「酉の市」として年末に多くの人々を迎え入れています。威勢よく手締めして「縁起熊手」を売る祭は今や年末の風物詩となっています。

花園神社「酉の市」の由来

花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、東夷征伐の戦勝祈願をし、大鳥神社の祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)が帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、彼の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。

酉の市で目をひくのは、縁起物の小物や稲穂がたくさんついた熊手です。これは、もともと農具として売られていた熊手が、福や金銀をかき集めるものに見立てられ、商売繁盛、招福の意味が込められるようになったという説があります。

鳶髙橋と「酉の市」のつながり

縁起熊手の販売店を建てるのも鳶の仕事です。売り場にかかる提灯の番号は1から64まであり(2021年11月現在)、商売を開始した順番に境内から入口に向けて並んでいます。

2025年に100周年を迎える鳶髙橋は親子3代にわたり「酉の市」の運営に携わっています。『花園神社三百五十年史』には1代目の写真も掲載されています。

「1番」の提灯を掲げる種田商店は、戦後の傷跡が残る時代に町を盛り上げようと、花園神社の原っぱにテントを建てて縁起熊手の販売を始めたといいます。現在は5代にわたって商売を続けており「酉の市」のシーズンには浅草の鷲神社(おとりさま)にも出展をしています。

「私が継いだのは30年ほど前ですけど、最初は雰囲気がぴりぴりしていましたよ」今の種田商店を支える種田さんは、30年前の様子を振り返ります。戦後地域を復興させてきた先代の覇気や雰囲気に萎縮したと語ってくれました。

種田商店は縁起熊手の問屋としても役割を担い、祭りに貢献しています。
花園神社との付き合いも長いため、本殿のしめ縄の奉納にも貢献しているのだとか。

「鳶髙橋さんには毎年出店を建てていただいて、感謝していますよ。できない工事をやってくれるのはありがたいし、尊敬します」

目まぐるしく変化をする世の中でも変わらない人とのつながり。笑顔が継承され、東京の文化形成に繋がっています。

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